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【Bike 2(to) Boat】きつくはなかった

俺が子供の頃、Kayak Session (カヤックセッション)という雑誌で自転車に乗って次々と川を目指して行く粋なカヤック旅行の記事を読んだことがあった。その約10年後、カヤック乗りであるオラフ・オブソマー【Olaf Obsommer】、イェンス・クラット【Jens Klatt】、エイドリアン・マターン【Adrian Mattern】たちと共に山岳サイクリングとカヤックの両方からなるプロジェクト【Bike 2 Boat】に招待された。今年の夏はいつもの夏ではなかった、特にこの旅は特別だった。

 

体力だけを頼りに川を冒険するという、この機会に飛びついたのだが、参加を約束する前に積荷が載ったトレーラーを引きずって高くそびえ立つ山々を越えていけるのか心配になったのでオラフに尋ねてみた。

 


 

「長い間自転車に乗っていないし、しかも脚力を軽視してトレーニングを怠っていた俺のようなやつが合計80kgにもなるカヤックとキャンプ用品を引っ張って、峠を本当に越えられるのか?」

「あぁ大丈夫さ。そんなにきつくはなかったぜ。」

 


 

最初の山岳サイクリングが始まった頃には、オラフというやつはひどい記憶力を持っているか嘘つきだと判った。

エイドリアンと俺は一緒にインスブルック(Innsbruck)から出発し、オラフとイェンスはローゼンハイム(Rosenheim)から旅を始めた。最初の2日間はイン川(Inn)に沿った平坦な地面を自転車で走り、それほどの苦労もなくサイクリングでの自己最高となる距離、50kmと74kmを記録更新したことに驚いたことを覚えている。サラザハ川(Salazach)でのカヤッキングでオラフとイェンスと合流して、この旅の正式なクルーが結集することになった。正直に言うと、この旅に参加した最大の理由とはオラフとイェンスと一緒に過ごすこと、そして彼らから何かを学ぶチャンスになるからだ。何十年にもわたる友人で(ズル)賢いカヤック乗りであるだけでなく、カメラ撮影でも才能に恵まれていた。また、彼らの関係と俺とエイドリアンとの関係を比べると一人は必要以上に背が高くて、もう一人はカヤックにぴったりサイズということで似通っているところもあった。

 

俺たちはローファー(Lofer)を出発し、最初の山岳サイクリングをグロースグロックナー(Großglockner)から始めることにした。自転車で山を登ったことの無い俺にとって、2,504mの最初の数メートルで緊張感が溢れ出して、歯を食いしばり始めた。それが長く続くことも想定外であった。これだけの重量を牽引して自転車でのツーリングは、頑固な俺でも時間の流れが止まっているように感じた。

 

-オーストリア・グロースグロックナー(Großglockner Hochalpenstraße)をサイクリング中(写真:Jens Klatt

 

それから数時間、ずっと乗り出すように自転車をこぎ続けた。体力が完全に消耗していたのだが、自分の頑張りに満足感すら感じていた。もう休憩を取らなければ後が持たないと、俺は水を飲みながらイェンスがゆっくりと坂を登って来るのを見ていたら:

 


 

「いい調子だな、ブレニー(ブレンの愛称)。あと数時間も頑張れば、多分もう

「頂上に到着?」

「あははは、いやいや中間地点だ」

「何ぃ!?」

 


 

イェンスが冗談を言っていたのか、それとも頂上に到達できるかは俺自身の問題だということなのか。

オーストリア・グロースグロックナー(Großglockner Hochalpenstraße)をサイクリング中(写真:Jens Klatt

 

それからすぐにイェンスが言っていたことが冗談ではなかったと思い知ることになった。スタートで激しく走ってしまった自分を責めたくなったが、呼吸に集中してホイールを回転させることに専念した。

 

自分自身を追い込んでいく精神の戦いこそが、このプロジェクトに期待していた部分でもあった。だから、俺は激流が好きなのだ。誰もがみんな自分が思っているより有能なのだ。それには自らの壁を突き破る手段が必要なのだ。俺は歯を食いしばりながら、ペダルをこぎ続けた。

 

頂上に着いたと思いきや、くだっては登り、またくだっては登りを繰り返した。もう旅を続けられないようにタイヤと予備のチューブをリバーナイフで切り裂いてやろうかと思う瞬間もあった。

だが50歳になるオラフが一番重い荷物を引っ張って頂上に向かっているのを見ていると、俺の体力ゲージの方がまだ残りが多いはずだと自分自身を鼓舞した。

 

頂上に到達したときは太陽が沈み始めていた。過酷な一日を締めくくるに相応しい美しさだった。

 

自転車での下山(ライドダウン)はトレーラーの重さによってワイルドなまでに加速する。オラフとイェンスは趣味でマウンテンバイクに乗っているし、エイドリアンは自動二輪と共に育っていたので、そのスピードに怯むどころか猛スピードで、苦労して丸一日かけて登った山をライドダウンして行く。ブレーキングの距離感、スピードやコーナリングの角度に戸惑ってパニック状態だった俺とは対照的に歓喜の声をあげながらライドダウンを楽しんでいた。それはここ数年で感じたことのない、純粋で最高に粋な時間だった。

 

地形は平坦に戻って自転車の速度が落ちてきた頃に、俺たちはリエンツ(Lienz)に入った。俺はこの地域を訪れることに気持ちが高ぶっていた。以前に【フリースタイル大会】で訪れて以来、カヤックでこの地域を訪れる機会には恵まれなかった。オラフとイェンスの二人は90年代にこの地域の川でよくセッションしていたようで、自慢や大惨事となった当時の川下りの話を聞きながらカヤッキングを楽しんだ。

 

オーストリア・イセル川(Isel)を下ってアイネット(Ainet)、東チロル(Osttirol)に向かう。(写真:Jens Klatt

 

ここでマウンテンバイクトレイルを登る、いわゆる「オブソマー・ショートカット」を初めて使うことになった。

 

数日間、イゼル川【Isel river】に滞在してカヤッキングと自転車のシャトルを楽しんだ。頂上のサイクルポートに自転車を置いて、カヤックでダウンリバーし、※川のテイクアウトから歩いてまた頂上に戻り、今度は自転車とトレーラーでテイクアウト地点までライドダウンして、カヤックを積み込んだ。テイクアウト地点でキャンプとなり、ようやくペダルを止めることになった。

(※テイクアウト地点=ラフティングの時の到着ポイント)

「Bike 2 Boat」プロジェクトは公式に進行中であったのもあり、慢性的な疲労感と痛みがある状態でチロル地方を一周する数週間の旅を過ごしていた。その痛みの一因は、俺がサドル周りにシャモアクリーム(スレ防止用のクリーム)を塗るという、サイクリストの習慣を受け入れていなかったせいでもある。旅の初日から熱心にクリームを塗っていたエイドリアンを見て笑って言った:

 


 

「もう2020年だし。好きなようにしたらいいけど、それを塗るのが気持ちいいだけじゃないのか? そんなものは要らないと思うけどな。」

 


 

旅に出て一週間が経った頃、俺はシャモアクリーム塗ることを格好悪いと笑うどころか、クリームの虜になっていた。

 

俺たちクルーは口論することもなく、水上でも陸上でも話す事が尽きず、良い時間を過ごすことができた。強いて言えばオラフの「ショートカット」だが、嫌でも文句を言うことはなかった。カヤック界の二人のヒーローや親友と一緒に人間の体力だけを頼りに川を探検する旅、これ以上の事はない。

 

イェンスがカメラに手を伸ばすとき(結構頻繁に)、俺はそれを熱心に見つめていた。三脚をセットして構成を考えながら撮影するオラフの方法と、彼の自転車を漕ぎながらハンドルバーにあるポケットからカメラを出して、片手で電源を入れて撮影するバランス感覚からも学ぶことがあった。もちろんカヤックが一番だが、撮影や編集がその次に来るようになっていた。数十年も同じことに情熱を燃やした仲間と一緒に過ごした時間は特別なものになった。

 

オーストリア・デフェレグゲンバッハ(Defereggenbach)-東チロル(Osttirol)(写真: Jens Klatt

 

メラノ(Merano)に着く前に山の周りをぐるっと一周した。パッサー渓谷(Passer gorge)に飛び入り参加で、エッチ川(Etsch river)の激流(ハイウォーター)地元部門で大勝利を収め、地元のカヤック乗りマティアス・デッチ(Matthias Deutch)とサイモン・ヘル(Simon Hehl)の素晴らしいおもてなしを受けた後、ティムメルス・ヨッホ(Timmels Joch)からエッツ渓谷(Oetz valley)へと続く、この旅最後の山岳サイクリングに出発することになった。この旅の最初に比べて脚力が数段強くなり、さらにペースと栄養戦略が賢くなり、また精神面が明らかに強くなっていた。最後の山岳サイクリングはそんなにきつくはなかった

 

エッツ(Oetz)での日々は素晴らしかった。観光局のそばのホテルで宿泊して、急流セクションでカヤックをし、俺とエイドリアンが地元の川と呼ぶぐらいになる川を楽しんだ後、締めくくりに、エッツ(Oetz)源流にある氷河までハイキングをして、カヤッキングで川下りを計画したが朝6時に出発したら、雪崩と落石に見舞われて、結局一般カヤッカー用の流域から再出発することになった。エッツ川の中流と下流の激流(ハイウォーター)を回って、イン(Inn)川とエッツ川の合流地点がこの旅のゴールとなった。

 

オーストリア・エッツ中部、オーツターラー・アケ(Oetztaler Ache)、エッツタール/エッツ渓谷(Ötztal/Oetz valley)(写真:Jens Klatt

 

興奮し尽くして、疲れ切っていた俺たちはそこでイェンスと別れることにして、彼を見送った。その夕方、エイドリアンとオラフと俺はインスブルック(Innsbruck)に向けて出発した。どんな旅でも帰路には色んなことが起こる。誤って二車線道路に入ってしまったり、近道を何度か行ったり、エイドリアンは水浸しになっている道路を走ろうとして失敗し、自転車から落ちたりとイベントが盛りだくさんだった(笑)。

 

俺たちはインスブルック(Innsbruck)に戻り、オラフは旅の終わりのインタビューとしてカメラを構えた:

 


 

「また行くよな、ブレン?」

「もう絶対行かないよ。電気自転車だったら考えるよ。」

 


 

オーストリア・ローファー(Lofer)、悪魔の峡谷(Devils Gorge)、ザーラッハ川(Saalach river)(写真:Jens Klatt

 

実際、いつかはBike 2 Boatプロジェクトに参加するつもりだけど、しばらくは大きなツアー計画には参加することはないだろう。俺の「Reacha」社のカヤックトレーラーで行くのは地元の川ぐらいで、危険が待ち受けている峠をカヤックと一緒に越えるために使うことはないだろう。だが本当に、オラフがBike 2 Boatプロジェクトにまた参加しないかと連絡してきたら、最後の峠越えはそんなにきついと感じなかったし、この素晴らしい旅を思い出してしまうだろう。なにより【BIG-O】と一緒のカヤック旅行を断るのはあり得ないことだ。

 

オーストリア・ウムハウゼン(Umhausen)、エッツタール(Ötztal/オーツ渓谷(Oetz valley)(写真:Jens Klatt

 

俺たち個人が選択した行動でも周りの人たちにとっては迷惑なことにもなり得る。

孤独で過激な狂人一人で良い未来が創られる訳がない。みんなで現実を変えようとして積み重ね、それが軸となり回りだすものだ。

このBike 2 Boatプロジェクトから影響を受けることがあるとすれば、山々の河川を冒険しようということをたまには考えさせることぐらいだろう。そのとき2500m級の山がなくても、シャモアクリームは忘れずにしてほしい。

 

オラフ、イェンス、エイドリアン、水上でも陸上でも楽しい時間をありがとう。

また、プロジェクトをスポンサーしてくれたReacha社とVaude社には感謝しています。

 

ブレン

 

オラフがRed Bull社のために編集した旅の様子は【redbull.com】で視聴できます。

【Bike 2 Boat Project】のWebサイトはこちら。

 

 

 

ブレン・オートン(Bren Orton)

イギリス出身(もう次の目的地に移動中)

大技と創造的な技が売りのフリースタイル選手。ホワイトウォーター・グランプリで好成績を残しており、フリースタイルとレースで世界のトップ選手たちと肩を並べている。USAツアーや世界ツアー、UKフリースタイルでも大活躍中。また、急流や滝落ちにも精通している。

彼は稀代のパドリングマシーンであり、なんでもこなせる素晴らしい男だ。